
もう40年くらい前の話なんですけど、学生の頃、ご縁あって『月刊コンバットマガジン』でライターのお仕事をさせていただいていました。1983年〜1990年頃だったと思います。
市郎さんのお弟子さんのケン野沢に師事。写真撮影や執筆、取材の仕方、記事の作り方などを必死で真似しました。弟のように鍛えてもらい、一人っ子でワガママに育った僕は、Kenからいろいろなことを学びました。
僕に実弾射撃や射撃指導を教えてくれた市郎(永田市郎)さんと初めてお目にかかったのもこの頃です。中学1年の頃から心の支えとなっていた市郎さんと会った日のことは、今でも良く覚えています。

C★Mで一緒にお仕事をしていた金子君は出版の勉強をしていて、ページネーション(台割)やレイアウトの指定の仕方、フォントや級数、文字送りや行間についてていねいに教えてくれました。せつないくらいいつも優しく、僕の話に年中付き合ってくれました。良く本を読む男で、彼の語彙力と文章力にいつも憧れていました。
トモちゃんという情熱溢れる熱い男と出逢います。人柄の良さ、人望の厚さ、銃に関する知識、器用さ、教養、、、育ちの良さが滲み出ていました。当時、劣等感の塊だった僕は、尊敬を通り越して、自分はこの業界に不要だと確信しました。
僕は「銃」を封印し、バイクやアウトドアに関する月刊誌やムックで写真撮影や執筆を始めました。その後、音楽コンサートの撮影、国営エアラインの機内誌や政府観光局のガイドブックなど、観光業に関する仕事に携わります。

コンマガや日本の出版社で学んだことはすべて、のちのホームページ作成やインターネットを利用したプロモーションの提案といった、企業向けの営業に役立てることができ、1996年、起業してハワイに引っ越しました。
あの頃から20年以上が経ち、ある日「みんなどうしているかな〜」と、インターネットで検索してみると、皆さんそれぞれ今もなおしっかり活躍しているではありませんか。

「やっぱりガンマンになりたい」

2013年12月、市郎さんを頼ってカリフォルニアのマリポサへ。2014年は日本とグアムをフラフラしながら、2015年、再びマリポサへ。

2016年2月まで、銃の撃ち方を習いました。撃ち方はもちろん、生き方や死に方、これからの心構えなど、考える機会をたくさんいただきました。
2024年5月、グアムシューティングアカデミーを開校しました。

始めてまだ数カ月ですが、20代の若者たちや、50代後半から60代の紳士たちが参加してくださいます。

30代〜40代の方が少ないのは「自分のこと以外に時間やお金がかかるからなのでは」と、思っています。

20代や60代は自分のことに遣えるので、「せっかくならちゃんと撃てるようになりたい」という理由や、「家族と仕事で精一杯だったけど、少し余裕ができたから」といったきっかけで、参加してくださるのではないかと。

クルマでシューティングレンジに向かう途中、
「コンバットマガジン、読んでいましたよ。あとGUNも」
といった話になることが多いです。
あるお客さまは、
「モデルガン持っていました」
「エアソフトガン買って撃ってました」
「M93R、マガジン重かったですよね」
「M66のスナブノーズが好きです」
「リボルバーといえばコルトパイソンかっこいい」
「ワルサーP38ありますか?」
「飛葉のコルトウッズマン撃てますか?」
「Cz75のショートレールお願いします」
「あと44オートマグも」
堰を切ったように名銃の名前が飛び出てきます。65歳、年金で奥さまと二人暮らしだそうです。去年、2人目の孫が生まれたとのこと。現在の趣味は料理(特にスモーク)と家庭菜園。料理は定年になってから始めたとか。
「海外旅行は2回目。新婚旅行でハワイに。もう30年以上前ですけど」
「今日、初めて実銃を手にします。緊張しています」

貸し切りのレンジで思いっきり銃を構えてもらうと、フィッシングドロウからのカップ&ソーサー。
「せっかくですからそれで撃ってみましょう」
「ウィーバースタンスもぜひ」
「最近の構え方で撃ってみましょうか」
「アイソセレス連射する時違いますね」
「007のオープニングをやってみたい?」
「クラウチングで? 片手で? S&Wアカデミー?!」

封印していた当時のドキがムネムネワクワクを、40年の時を経て、ここグアムで再び。

僕だけではなかったのですね。
アカデミーを選んでくださり、とってもうれしいです。
人生100年時代。反省は一杯しました。今は決してラクではありませんが、参加してくださった方から「たのしい」という声をいただくと、正直、気分が良いです。
本当にどうも有り難うございます。
皆さんもどうぞ
悔いのない人生を。